2025年2月、1回目読了。
『暗号の子』は、2024年12月に出版された、8つの短編からなるSF作品集です。現代のネット社会に対する思考実験的な物語が展開され、その中にはAIに執筆させた異色作も含まれていて、飽きさせません。
著者は『盤上の夜』『ラウリ・クースクを探して』などを書かれた宮内悠介さんです。
読み応えのある、粒ぞろいの素晴らしい作品集でした。全体的な感想と、その中でも特に気に入った、表題作でもある『暗号の子』を読んで考えたことを述べたいと思います。
現代的なネット社会と、メディアと世論が印象的な作品集
現代が舞台の作品が多く、今のインターネット社会が抱える問題点にSF的ガジェットを加えたとき、世界がどうなるかを見るという、思考実験的な雰囲気が印象に残りました。
特に、SNSやテレビなどのメディアと、それらによって形作られる世論の形成を皮肉的に描いている点が興味深く感じました。自分が抱えている、現代社会への鬱屈と問題意識が刺激され、物語への没入感はとても高かった。
炎上なんて、もうお腹いっぱいなんです。
失敗した誰かを、立ち上がれなくなるまでたたいて鬱憤を晴らすような社会は、やはり不健全だと思うのです。橘玲さんの『バカと無知』を読むと、それが人の性質だと書かれています。自分の中にもそういった性質を感じることはあるのですが、それでもこの下劣さを認めてしまってはいけないと、抗っています。(失敗することも多いですが)
『暗号の子』の主人公は、社会の敵を名乗り世論と対峙します。
『ローパス・フィルター』は、SNSで攻撃的になる人たちへの強烈な皮肉でしょう。
『明晰夢』は、電子麻薬とでもいうようなものの是非が議論されます。
どの物語も興味深く、読みごたえもあります。
ですが、人や現代社会の問題点を深く意識させられる、嵐が去っても雲が晴れないような感じで、気持ちも曇ります。
しかし、最後の『ペイル・ブルー・ドット』で、まっすぐに科学と向き合う少年が出てきます。彼に惹かれ、それを支える大人たちの視線を通して、明るい未来を感じることができました。
日曜劇場で池井戸作品を見たような気分になって、すっきりと読み終わることができました。
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『暗号の子』 ~ 楽園と崩壊の物語
『暗号の子』は、楽園とその崩壊をテーマに描かれています。
実社会で生き辛さを感じている主人公が、メタバース内のコミュニティに参加し、居場所を見つけるところから始まります。
そのコミュニティがある事件によって衆目に晒され、崩壊してしまいます。
インターネットはかつての楽園だったのか
インターネットはかつて楽園だったのかもしれない——この作品を読んで、私はインターネットの黎明期を想像しました。
まだインターネットは普及しておらず、パソコン通信が主流だったころのイメージです。
当時は対面でのコミュニケーションが基本でした。
メールやチャットではなく、文通や交換日記といった時代です。
もちろん電話はありましたが、学生だった身には、通話料と親の目という高い障壁もあり、気軽には使えませんでした。
私はパソコン通信を使ったことがないので、実際のところは知りません。
ですが、メールやチャットによって、離れたところにいる知らない人とやり取りができるということに大きな魅力を感じたことを覚えています。
高いハードルによって守られた世界
しかし、その世界に飛び込むためのハードルは高かった。
当時のパソコンは高価でした。持っている人も少なく、家庭にとっての必需品でもありませんでした。専門的な知識が必要で、情報も多くはありませんでした。
今のように、誰でも彼でも簡単に触れられる世界ではなかった。
本当に求める人が、頑張ってたどり着く世界だったんだろうと思う。
そんな世界だったからこそ、本当にそこを必要とする人だけが集う、きわめて偏った切実な世界であり、楽園となり得たのではないかと思うのです。(その時代を知っている人からは、そんなにいい物じゃないよと言われるかもしれませんが)
今のインターネットとメタバースへの疑問
現在のインターネットは、一言で言えば踏み荒らされていると感じます。
多くの人が気軽にアクセスできるようになり、その結果、世界のルール自体が変化してしまったように思えます。かつてそこにあったかもしれない楽園は、どこかに行ってしまったように思えます。
数年前、メタバースは、メディアなどに大きく取り扱われていました。
フェイスブックが、社名をメタに変更した頃がひとつのピークで、それ以降は下火になっている印象です。
存在を知っていても、実際にメタバースの世界を訪れる人は少数派でしょう。VRゴーグルもゲーム好きのためのアイテムの域を出ていない印象です。
導入にはお金がかかり、コンテンツも不足していて、そこに行かなければ旧世界に取り残されるというような状況にはなっていません。
だからこそ、偏った、そこを必要としている人間しかいない世界が成立する。かつてのパソコン通信やインターネットにあった楽園は、今はメタバースの中にあるのかもしれないと思えました。
しかし、逆説的に考えれば、問題が解消されて一気に普及すれば、メタバースもまた楽園の崩壊を迎えるのかもしれません。そうして楽園を追われた人たちは、また新たな楽園を探すのでしょうか。
『暗号の子』の主人公は、崩壊した楽園を繋ぎとめるために苦闘しますが、それはむなしい努力にも見えます。
壊れた世界は戻らない。
新しい世界を探すしかないのだろうと。
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まとめ:今だからこそ手に取ってほしい一冊
『暗号の子』は、現代の「もしも」を描いたSF短編集です。
インターネットやSNS、そして新しい技術がもたらす光と影を、独自の視点で切り取った素晴らしい作品集です。
ただ、内容があまりにも現代的すぎるので、賞味期限があるのではないかという懸念もあります。そう感じるのは、技術の進歩や社会の変化が今抱えている問題を解決してくれると信じているからなのか、それとも現代が楽園に思えるほど酷い時代がやってくると感じているのか、自分でもよくわかりません。
ですがとにかく、今、読んでほしいと感じました。
著者の宮内悠介さんは、2025年2月時点では受賞こそしていませんが、複数の作品で直木賞と芥川賞の候補に挙がったことのある、珍しい作家さんです。直木賞はエンタメ、芥川賞は純文学と言われていますので、両方で高く評価されるのは珍しいことです。私はSF寄りの作品しか読んだことがありませんが、純文学的な作品も読みたくなりました。

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。
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