『六番目の小夜子』は『夜のピクニック』『蜜蜂と遠雷』などで有名な恩田陸先生のデビュー作です。
1992年に発売された作品ということで、古さはそこここに感じられます。校舎内で先生がたばこを吸っていたり、パソコンじゃなくてワープロを使っていたり、スマホが無かったり。今の高校生が読むといろいろ気になる点があるかも知れません。ですが、不思議な魅力に満ち溢れた作品で、そんな違和感を吹き飛ばしてくれます。
この物語には、学校の怪談、謎解き、青春と多くの要素が詰め込まれています。
とある地方の名門高校が舞台で、そこでは『サヨコ』という奇妙な風習が受け継がれています。3年に一度の『サヨコ』の年に当たった生徒たちが、謎に振り回されながらも、高校生活を謳歌するというお話。
『サヨコ』は卒業式の日に、3年生から2年生に受け継がれる。
3年に一度の年にあたった『サヨコ』は、学園祭の演劇に関与する。
新しい台本を書くか、以前の台本を使うか、何もしないかの3つの中から選び、始業式の日に花瓶に花を生けることで、どれを選んだかの意思表示をする。
台本を書き終えたらもう一度花を活ける。
そして、最後に卒業式の日に2年生に、花瓶の入った棚の鍵を受け渡す。
『サヨコ』の演劇が成功に終わった年は大学受験の成功率が高く、失敗した年は低くなるとされている。
さて、そんな『六番目の小夜子』ですが、名作といわれ、ドラマ化や舞台化もされるほどの人気作なのですが、謎が多く残る粗い作品という評価も見られます。
恩田陸さんという、直木賞、山本周五郎賞、本屋大賞など、多くの受賞歴を持つ人気作家さんの作品なのですが、そのデビュー作とあって、洗練されていない印象があるのは私も同感です。
ですが、残る謎については、作品を読み解けていないだけかも知れません。
かくいう私自身も、全ての謎に答えは出せませんでした。回答を導き出した点についても、これが正解だという確信が持てずにいます。荒いだけなのか、謎が深いのか、答えは出ていません。
この記事の考察はあくまで参考のひとつとして読み、あなた自身の考察を深める材料として頂けたら幸いです。
この記事の内容はほとんどがネタバレで構成されていますので、未読の方は先に読んで頂きたいです。
謎が残るポイントは大きく3つ
『六番目の小夜子』を最後まで読み終えて残る疑問はいくつもあるでしょうが、解釈が分かれそうで、大きな疑問点となるのは次の3つではないでしょうか。
- 黒川がすべての黒幕だったのか
- 津村沙世子はなに者だったのか
- 怪異は存在したのか
最初に私の結論を端的に述べると、
- 黒川は『サヨコ』という風習に興味を持ち、裏で関わってはいたが、すべてをコントロールしていたというほどのものではない。
- 津村沙世子は好奇心旺盛な普通の少女。しかし行動のすべては沙世子の意志ではなく、一部怪異の影響を受けている。
- 怪異はあった。学校を器として、歴代の『サヨコ』や生徒たちの思念が集まり、怪異となっている。
その理由を、詳しく解説いたします。
歴代『サヨコ』についてのまとめ
考察を始める前に、歴代の『サヨコ』についてまとめたいと思います。
一番目のサヨコ
本作の15年前。『小夜子』というタイトルのひとり芝居の台本が匿名で学園際の実行委員に送りつけられる。
とても印象的な舞台だったらしいんだ。舞台の真ん中に教卓が置いてあって、上に真っ赤なバラの花が花瓶に活けてあって、その前で一人の少女が椅子に座って淡々と話をする、という設定なんだって
『六番目の小夜子』より
とあるだけで、台本の内容は不明です。誰が演じたかも不明ですが、おそらく学園際の実行委員の誰かか、演劇部などから募ったのではないでしょうか。
これが、『サヨコ』の始点ではありますが、まだ風習化されてはいません。この年の大学合格率が良かったという事実が、風習化のきっかけとなる。
二番目のサヨコ
12年前。期日が迫っても芝居の台本が用意できなかった学園際の実行委員は、3年前に演じられた『サヨコ』を再上演することにする。『小夜子』役に興味を持ったのが、その年の4月に転向してきた津村沙世子という女生徒。他に演劇部員の中からも希望者が出て、オーディションという形をとる。その結果発表方法として、選ばれた人の机に赤いバラの花を一輪置く、とした。
選ばれたのは津村沙世子だったが、彼女がその机を目にすることは無かった。津村沙世子(六番目のサヨコと同姓同名なので、以降二番目のサヨコと呼びます)はその直前に両親と食事に出かけた際に自動車事故に遭い、死亡した。
『サヨコ』は上演されず、その年の大学合格率は史上最低を記録した。
この年の実行委員が『サヨコ』のルールを作った。
黒川が赴任したのは、二番目と三番の間とみられる。
三番目のサヨコ
9年前。関根秋の兄が『サヨコ』に選ばれる。
関根秋の兄の談によると、『サヨコ』をという風習の形はもうすでに出来ていたとのこと。二番目のサヨコの代の学園際実行委員が考えたらしいとのこと。
三番目のサヨコは、自ら新しい劇の台本を書き上げ、それが上演されることとなる。
演じたのが誰かは不明。大学合格率は史上一、二を争うほど良かった。
四番目のサヨコ
6年前。『サヨコ』に選ばれるも、受験勉強で忙しいのにそんなことやってられない、と生徒総会に訴える。『サヨコ』の風習に反対し、何もしなかった。
全体の大学合格率は不明。『サヨコ』に選ばれた女生徒は、2年連続で受験に失敗しノイローゼになったらしい。
五番目のサヨコ
3年前。『無言のサヨコ』と言われている。『サヨコ』役を行う意思表示は示した物の、その後は何もしなかった。大学合格率は不明。どのような人物だったかも不明。
五番目のサヨコの正体については、番外編の『図書館の海』にヒントがあります。関根秋の姉の関根夏の話で、夏は五番目のサヨコに鍵を渡した『渡すだけのサヨコ』でした。
六番目のサヨコ
作品で扱われる『サヨコ』。加藤という男子生徒と、津村沙世子の二人が『サヨコ』として選ばれているというイレギュラーな状態。
加藤は途中でリタイヤし、『サヨコ』の役目を関根秋に譲るが、関根秋は『サヨコ』としての働きはなにもしていない。
演劇の台本は送られてきて、それが上演されるが、誰が書いたのかは不明。
演じたのは全校生徒。芝居は異様な熱気を帯びるも、途中で竜巻が体育館を襲い途中で終わることとなる。
大学合格率は良さそう。
物語で重要なポジションにある『二番目のサヨコ』だけが、台本を書いた人ではなく、演じた人というのが違和感を感じるポイントです。
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黒川がすべての黒幕だったのか
物語の途中で、教師の黒川が黒幕だったとの色合いが濃くなります。そして、最終的にそれが否定されないまま物語は終わります。そのため、黒川が黒幕だったと考える説は多いです。
黒川を黒幕とする主な根拠は3つあります。
- 歴代の『サヨコ』と『渡すだけのサヨコ』のうち、判明した7名はすべて黒川が担任を受け持つクラスの生徒だった。
- 演劇『六番目の小夜子』の台本はワープロで作成されたもので、その印刷には、黒川が使うワープロと同じ癖があった。
- 『サヨコ』の花を活ける花瓶の入った棚の鍵を複数所持している。
私は黒川の黒幕説に否定的です。否定したいポイントは3つあります。
ワープロとプリンタについて
この作品が書かれた当時は、まだパソコンが普及しておらず、ワープロ単体機が使われていました。それもあまり一般には普及しておらず、仕事上必要な人だけが使っているような状況です。プリンターは一体化されていて、キーボード、画面、プリンターで構成された機械となります。標準的な事務用品にはなっておらず、私物を持ち込んで業務に使用するケースも多かったようです。
演劇の台本を書いたのは黒川なのか
12月末頃の、黒川と別の教師との会話が否定の根拠です。そこでの会話で、ワープロは津村沙世子から譲られたものであること、黒川がワープロの操作にまだ慣れてないことが明かされます。
芝居の台本が設楽の元に届いたのが9月の末のこと。それ以前からワープロを使用していて、台本の執筆にまで使っていたなら、それなりに使いこなせていたのではないかと思われます。また、「上達しましたか?」と別の教師が質問していて、そのような話題になるのは、まだワープロを使う姿が馴染んでいないからで、黒川が学校にワープロを持ち込んだのはそれほど前のことではないことがうかがえます。
台本を書いたのは沙世子で、そのあとで黒川にワープロが渡ったと考えると、時系列はスッキリするように感じます。
また、誰も台本を書かなかった五番目の例もあります。
おおっぴらにに『サヨコ』を否定した四番目とは違い、五番目は台本さえあれば『サヨコ』が成功する可能性がありました。それをスルーした黒川が、六番目から積極的に台本制作に関わりだしたと考えられる根拠は描かれていません。
長年見てきて創作意欲が芽生えたから。ワープロを手に入れ、筆跡を気にせず書けるようになったから。二回連続の失敗を受けて焦っていたというような理由付けは可能です。
しかし、積極的に『サヨコ』の役割を演じようとした沙世子が、台本を書かないのは不自然に思えるので、やはり沙世子が台本を書いたと考える方が自然だと思います。
小夜子がワープロで使って台本を書き、そののちに黒川にワープロを譲ったと考えるのが、一番しっくりきました。
『サヨコ』の担任を意図的に受け持つことができるのかどうか
大前提として、『サヨコ』を選ぶのは前の『サヨコ』であり、教師が関与する隙はありません。
仮に、卒業式時点で次のクラス分けが決まっていたとすれば、翌年に自分が受け持つ生徒を選ばせることはできません。
卒業式後にクラス分けを行うとしても、秘密裏に選ばれた『サヨコ』を即座に知り、自分の受け持つクラスに組み入れるというのは至難の業でしょう。
どこかの時点で『サヨコ』の正体に気づき、それ以降は卒業式でその生徒をマークして誰に渡すかをチェックする、ということも不可能ではないかもしれませんが、監視カメラを仕掛けたりするのが容易な時代では無ないので、毎年、確実に成功させられると考えるのは無理があるでしょう。
とはいえ、黒川が『サヨコ』の担任になっていたのは事実なので、その理由を2パターン考えました。
一つ目は、『サヨコ』のレーンは2つ(あるいはそれ以上)あった。六番目では2人の『サヨコ』がいますので、他の年も複数の『サヨコ』が存在した可能性はあります。生徒間で引き継がれる『サヨコ』と、黒川が選んだ『サヨコ』の両方が存在し、設楽が調査して見つけたのは、黒川が選んだ『サヨコ』ばかりだったという可能性です。
しかし、常に複数の『サヨコ』が存在すれば、それが露見する可能性も高いです。四番目のサヨコのように、存在を明らかにする生徒もいたことや、卒業後であればカミングアウトが禁じられていないを考慮すれば、露見しないのは不自然に思えます。設楽が見つけたのが偶然、黒川の『サヨコ』ばかりだったというのも不自然な話なので、可能性は低そうに思えます。
もうひとつ考えた可能性は、怪異が黒川のクラスに『サヨコ』を集めたという可能性です。
『サヨコ』に働きかけ、次の『サヨコ』を黒川のクラスの生徒から選ばせる。あるいは、教師を操り『サヨコ』に選ばれた生徒を黒川のクラスに組み入れる、というもの。怪異のせいにしてしまえば何でもありですが、怪異がそうした意図はよくわかりません。
途端に胡散臭くなりますね・・・。
ですが、他の可能性が思いつかなかったので、これを採用しました。
沙世子の転向に黒川が関与できたかどうか
沙世子が転向してくることになった経緯についても、黒川黒幕説をとるには無理があるように思えます。
黒川が語ることによると、黒川の興味は、波紋を投げかけること、そしてその様子を見守ること、といった消極的なものです。
物語の舞台が1980年台だと仮定すれば、個人情報保護の意識が薄い時代ではあります。多くの場所で名簿が作られ、安易に配布されていた時代です。全国模試の結果などで沙世子の存在を知り、住所をたどる所までは、一般人でも可能かもしれません。しかし、その少女の親の転勤の時期と転勤先を知り、転校を促すため手紙を送りつける、というのは、ちょっと無理があります。
仮に知りえたとしても、そこまで積極的な関与は、黒川の嗜好とのギャップを感じます。黒川の望みはさざ波や小さな渦を起こすことであって、嵐ではありません。
ただし、実行したのは黒川だが、怪異の影響を受けていたため、自分の嗜好に沿わない行動を行ったという可能性は残ります。
鍵という現実の物質が動いており、予備の鍵を持っていたのは黒川です。黒川の持っていた鍵が、怪異の影響を受けて沙世子のもとに送られたのではないかと考えています。
作者の恩田陸さんは、自分の通っていた茨城県水戸市の高校をモチーフにしたと語っています。恩田さんが通っていたのは1980年代初頭で、小説を執筆したのが1990年台初頭ですので、1980年から1991年の間が物語の時代設定かと考えられます。
黒川はどのように『サヨコ』に関わっていたのか
わたしが黒川を黒幕とする説を否定したのはこのような理由ですが、黒川が『サヨコ』に関わっていなかったとは考えていません。
黒川が、花瓶の入った棚のカギを複数持っていたことは事実として存在します。そしてそれを、誰かに渡したことを示唆しています。
誰に渡したかというのが問題です。六番目のサヨコに際して渡したかどうかはわかりません。物語に出てきていない可能性もありますが、ここでは、加藤か沙世子の可能性を検討したいと思います。
まず加藤については、五番目のサヨコから受け継いだ、というのが本人の認識です。本来ならその間には、2人の『渡すだけのサヨコ』がいるはずなので、少し違和感のある認識です。卒業式で直接受け取ったなら、『渡すだけのサヨコ』から回ってきたという認識が強くなるかと思うので、黒川からの郵送という方法で受け継いだのではないかとの推測は可能です。そこに五番目のサヨコを示唆する手紙が入っていたという可能性です。
沙世子については、郵送で受け取ったのが確実で、余分な鍵を持っていたのが黒川ですから、送り主を黒川とするのが自然です。ですが、前述の通り、それは黒川の本来の意志ではなかったと考えています。
沙世子、あるいは加藤と沙世子の両方に鍵を渡したのは、黒川ではないかと考えています。
物語の終盤で新しいマニュアルを作成したのも黒川で間違いないと思われます。以前のマニュアルが燃えた時点ではワープロは黒川の元に渡っていますので、黒川以外が作成したと考えるのは不自然です。
マニュアルが無くなっては、今後の『サヨコ』の継続が難しくなりますので、それを再作成した黒川の目的は、『サヨコ』の継続だと考えて問題ないでしょう。
黒川は『サヨコ』に動揺する生徒たちを見たいだけで、それ以上を望んではいなかったのではないか。なので、黒川の関与は、『サヨコ』の継続のためのものと、活性化のため少しだけかき回すことではないか、と考えています。
まあ、趣味の悪い人なのは間違いないです。それでいて普通の人の雰囲気なのが逆に怖いです。
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謎の美少女津村沙世子に残る謎、結局なにがしたかったのか
謎の転校生、津村沙世子。
美少女、頭脳明晰、運動神経がいい、人当たりもいい、動物にも好かれる、完璧超人。物語の中心にいる怪しさ満開の存在です。
鍵を持っていたわけですが、受け取り方法がイレギュラーなため、正式な『サヨコ』と言っていいかどうかは微妙です。とはいえ、加藤がリタイアし、鍵を引き継いだ秋が放置していたため、実質『サヨコ』は彼女しかいない状況になっています。
手紙を受け取り『サヨコ』に興味を持ち、転校を決意したことは明らかになっています。「今年のサヨコはあたしよ」とか言っちゃいますが、その目的は不明です。『サヨコ』として演劇を成功させたかったのか、『サヨコ』を終わらせたかったのか、あるいはほかの目的があったのかもしれません。
沙世子が取った明確な行動は2つ
怪しげな言動が目立つ沙世子ですが、明確に自分の意志で物語に関わった行動は2つだけです。
ひとつ目は加藤との接触。
鍵を盗もうとして教室を荒らした加藤を沙世子は手紙で呼び出しました。意味深な会話をし、最終的には「六番目のサヨコはあたしよ」「わざわざ帰って来たのよ」と二番目のサヨコを思わせるセリフを吐き、加藤を震え上がらせます。
荷物を荒らした加藤に対する怒りもあり、芝居がかった言動に出た可能性もありますが、その結果加藤は悲鳴を上げ、家で体調を崩し学校を長期で休むこととなりました。
体調を崩した原因が沙世子の言動によるものかどうかは定かではありませんが、直前に会話した身としては、冷静ではいられない事態だろうと思います。加藤と歩いていたという指摘には平然と否定していますが、加藤の容態を知った後の反応は描かれていません。
もうひとつは佐野美香子を放火に誘導した点です。
関根秋に恋心を抱く美香子に対し、「お誂えむき」として懐に潜り込み、協力者のフリをしてコントロールします。そして、秋に振られた美香子が暴走して、本当に部室に火を放ってしまいます。美香子の行動は沙世子の予想より早かったのですが、「そうするであろうことを知っていた」とのことなので、放火させることが目的で近づいたのは間違いないでしょう。
放火の結果としてマニュアルが焼失しましたが、沙世子の目的が、マニュアルを燃やすことだったかは不明です。他の物や、部室そのものがターゲットだった可能性はあります。
沙世子の目的はなんだったのか
「六番目の小夜子はあたしよ」とか言ってみたり、サヨコを演じて見せるとかいってますので、『サヨコ』役に積極的だったことはうかがえます。
しかし、『サヨコ』として、なにをしたかったのかは定かではありません。『サヨコ』をやり遂げる強い意志を示す場面もありますので、風習に従い『サヨコ』をまっとうしようとしただけかも知れませんし、『サヨコ』を終わらせるために動いていたのかもしれません。
『サヨコ』を終わらせるという目的については、マニュアルの焼失を企んだことが証拠にも思えますが、その一方で自分の持っていたカギは処分せず、下級生に受け渡しているので辻褄が合いません。
となると『サヨコ』をまっとうすることが目的だったのかもしれませんが、そうなると、美香子をけしかけてまでマニュアルを処分しようとした理由が分からなくなります。
突然ですが、私は、物語の終盤での、主人公の気づきやひらめきは真実として扱います。
今回の物語では、秋が「終わらせに来た」と確信した点と、沙世子が「二番目のサヨコ」に招かれたという点がそれにあたります。これらは本人たちが確信しているだけで、証拠はありません。ですが、真相であると考えます。
とすると、沙世子は『二番目のサヨコ』に招かれて、『サヨコ』を終わらせに来た、というのが真相であると考えられます。
とすると、加藤に接触したのは『サヨコ』役を降ろすためと考えられますし、美香子に放火をさせたのは、マニュアルを燃やすためと考えられます。沙世子が代弁した『二番目のサヨコ』の怒りもしっくりきます。
問題となるは、カギを後輩に受け渡した点と、芝居の台本です。
私は、沙世子が『二番目のサヨコ』の影響下にあったのは、火事の最中、火に囲まれる秋を見た時までだと考えています。あの場面での強い想いによって、解き放たれたと考えています。あるいは、目的を達した『二番目のサヨコ』が自分から離れて行ったのかもしれません。
そのため、不良たちに襲われた際はコントロール下にあった野犬が、今度は沙世子の意志に従わず、牙を向いたのではないでしょうか。
沙世子が加藤と美香子に対して行ったことはかなり後味が悪く、大きな害が残る行為でした。これらの行為と、普段の沙世子の明るさや、ラストの清々しさが結びつきにくいです。それらを説明するために、怪異の影響下にあったことと、それから解放されたこと、とする考えに落ち着きました。
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怪異は存在したのか、それはどういったものだったのか
さて、ここまで読んでいただければ、わたしが怪異が存在し、黒幕であるとの考えであることはわかって頂けているかと思います。
わたしが怪異の存在を認める結論を出したのは、そう考えないと、辻褄が合わないと考えたからと、最初と最後に繰り返される文章によるところが大きいです。
わたしは冒頭と結末の文章が真相であると考えています。二度繰り返されるこの文章が、この物語の大枠であるというのが大前提となります。小説の最初と最後という要所で繰り返される言葉が、重要で無いわけはありませんので。
――その朝、彼らは静かに息をひそめて待っていた。
春らしい、柔らかで冷たい陽射しを気まぐれに覗かせながら、厚い雲が彼らの頭上を覆い、時に低く垂れ込め、あるいは黒く影を落として、ゆっくり流れていく。
彼らの見掛けの姿は、古びて色彩にも乏しい。もはや呼吸をしていないのではないかと思えるほどだ。しかし、そのしなびた皮膚の下には、いつも新しい、温かい血液が豊に波打っているのだった。
彼らの足元には、やや水量を増したそっけない川が流れている。そのせいか、彼らは空から見ると一本の細い橋につながれた島に見えた。彼らはいつもその場所にいて、永い夢を見続けている小さな要塞であり、帝国であった。
彼らはその場所にうずくまり、『彼女』を待っているのだ。
ずっと前から。そして、今も。
顔も知らず、名前も知らない、まだ見ぬ『彼女』を。
彼=学校であり、彼女=生徒であると考えました。血肉は生徒たちの思念(エネルギー)といったところでしょうか。学校という器に、生徒たちの思念が集まり、それが何らかの力となって発現するというのが、この物語の怪異だと考えています。
怪異がないと考えると不自然な点は多いです。人為的では不可能な事象が多すぎます。
象徴的なのは演劇を止めた竜巻ですね。あのタイミングで、あまり見られない竜巻という自然災害が起き、ピンポイントに体育館と桜の木を襲うというのは、怪異の存在でしか説明ができません。
すべてご都合主義で片づけることも可能かもしれませんが……。このあたりが粗さと受け止められる点ですかね。
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急に出てくるパワーワード『邪悪な第三者』とはなんだったのか
さて、いろいろ考えてきましたが、解けない謎はまだまだあります。
その中でも、私が一番引っかかっているのが『邪悪な第三者』の存在です。
マニュアルに途中で付け足されたと思われるこの言葉が、秋を動揺させたのですが、最後まで読んでも何の意味がある言葉だったのかわかりませんでした。
関与を許せば、『サヨコ』が無効になる『邪悪な第三者』は存在したのでしょうか。
秋は自分が『邪悪な第三者』である可能性を懸念しましたが、わたしはそうは思いません。何をしようと、学園の生徒に関しては当事者であるとの考えです。
今回の『サヨコ』であり得るとしたら、教師である黒川か転校生である沙世子のどちらかでしょうか。
しかし、どちらもしっくりきません。『六番目のサヨコ』が無効になっているかどうかもわかりませんので、『邪悪な第三者』がいたかどうかも疑わしいです。
追記された理由も気になります。
追記されたのがいつの事かはわかりません。歴代のいずれかの『サヨコ』の際に、『邪悪な第三者』の関与があり、無効となったため書き加えられたのでしょうか。4回目か5回目ということになりそうですが、となると5回目の『無言のサヨコ』が怪しいですね。そこには語られていない事件があったのかもしれませんが、そのヒントはなさそうでした。
単純に、過去の実行委員の悪戯という可能性もありますね。
なんにせよ、意味深すぎるこのセリフが何を意図したものだったのかはわかりませんでした。
是非、皆さんの意見を聞かせて頂きたいです。
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謎は残る。それでも面白いものは面白い
『六番目の小夜子』は確かに謎が多く残る作品です。黒川の真の意図、沙世子の行動原理、怪異の正体など、読者の解釈に委ねられた部分が少なくありません。しかし、それらの謎が作品の魅力を損なうどころか、むしろ読者の想像力を刺激し、作品にどっぷりと浸らせる効果をもたらしています。
全てが完璧に説明されているわけではありません。しかし、学園ミステリーとしての不思議な雰囲気、青春ドラマとしての登場人物たちの心情描写、そして怪異を匂わせるホラー要素など、多彩な魅力が詰まっています。
読了後も残る謎は、読者それぞれの解釈によって埋められていきます。そして、その解釈の過程自体が作品を楽しむ一つの方法となっているのです。完全に謎が解けなくても、想像を膨らませ、考察を重ねることで、作品世界により深く浸ることができます。
『六番目の小夜子』は、全てが明らかにならないからこそ魅力的な作品と言えるでしょう。謎は残りますが、それでも面白い作品は確実に読者の心に残り続けます。この作品が長年にわたって愛され続けている理由は、まさにそこにあるのではないでしょうか。
数年後に読めば、また新たな気付きがあるかもしれません。
最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。
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