ふと思うことがあります。
自分はちゃんと本を読めているんだろうか
読んだそばから内容が薄れていく。読み終わって「おもしろかった」「感動した」とは言えるのに、何がおもしろかったのかをうまく説明できない。同じ本を読んだ人の感想を聞いて、「そんな読み方があったのか」と驚くことも多い。
「読めばわかる」とよく言います。でも、同じ文章を読んでいるのに、人によって理解の深さがこんなにちがうのはなぜか。頭の良し悪しなのか。読んできた量の差なのか。それとも、「読み方」そのものに、何か根本的なちがいがあるのか。この疑問に、ずっと答えを見つけられずにいました。
この本は、そんな読解力に関するもやもやを言語化してくれていました。
なぜこの本を手に取ったか
このブログ「読書の知肉」は、読書を単なる趣味や娯楽で終わらせず、血肉化して人生に役立てることをテーマにしています。読んで終わり、ではなく、読んだことが自分の考え方や行動に滲み出てくるような読書を目指したい、というのがコンセプトです。
そのために欠かせないのが、当然ながら「読解力」です。どれだけ良い本を選んでも、ちゃんと読めていなければ意味がない。知識は入ってくるかもしれないけれど、それが自分の中で有機的につながり、使えるものになるには、まず「深く読む」ための土台が必要です。
読解力を身に着けたい。でもどうすれば?
読解力とはそもそも何なのか。それをきちんと理解しておきたい、というのがこの本を手に取った理由です。
著者は東京学芸大学准教授の犬塚美輪さん。認知心理学の専門家が「読む」という行為を科学的に解説した本で、ちくまプリマー新書(中高生向けのシリーズ)の一冊です。中高生向けとはいえ、内容は大人が読んでも十分おもしろい。というより、子育て中の親や、読書を深めたいと思っている大人にこそ、刺さる内容だと思います。
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「読める」と「わかっている」はちがう
この本で一番「そうか!」となったのが、読解力を3種類に分けて説明しているところでした。
この本には、「表象構築」という言葉が頻繁に出てきます。ちょっとむずかしい言葉ですが、要するに「文字を読んで、頭の中にその場面やイメージを作り上げる」ということです。これが読解のいちばんの土台です。土台がしっかりしていないと、その上に何を積み上げても崩れやすくなります。読んだのに何も残らない、という状態になります。
次が「心を動かす読解」。読んだ内容に感動したり、「自分もこうしてみよう」と思ったりするような、いわゆる豊かな、読書の楽しみともいえる部分ですね。読書が楽しめない人というのは、この読解が苦手なのかもしれません。
そして「批判的読解」。これはいわゆる「他人の意見にケチをつける」「悪口を言う」という意味の「批判」ではありません。書かれている内容を鵜呑みにせず、「これは本当に正しい情報か?」「なぜ筆者はこう主張しているのか?」と、一歩引いて客観的に分析しながら読む技術のことです。フェイクニュースが飛び交う今の時代、これができるかどうかって、けっこう大事だなと思います。
一言で読解力と言っても、その性質は異なります。こうして整理してみると、「わからない」と感じたとき、その原因を探る手がかりが見えてくる気がします。
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読んでいて、自分の弱点に気づいた
この本を読みながら、個人的にけっこうグサッときたことがあります。
私、小説を読んでいても、情景がなかなか頭に浮かばないんです。「木漏れ日が差し込む静かな部屋で……」なんて描写があっても、その場面がうまくイメージできない。義務的に文字だけ追って、先に進んでしまう感じ。ずっと「自分は情景描写が苦手なんだな」くらいに思っていたんですが、この本を読んで、それが読解力の問題として整理できました。
要するに、私は「表象構築」の一部が弱い。
でも、それはなぜかというと、おそらく小説を読むとき、私はずっと「物語を追うこと」「謎や真相を探ること」に注力してきたからじゃないかと思います。情景描写よりも心理描写が好きで、「なにを考えているのか」「なぜこんなことをしたのか」という方向に意識が向きがちなんです。結果として、情景をじっくり頭に浮かべるような読み方をしてこなかった。
読解力というのは、一種類じゃなくて、さまざまな力の組み合わせで成り立っているようです。小説を読むひとつの行為の中でも、場面を想像する力、物語の流れを追う力、登場人物の気持ちを汲む力……それぞれが別々に存在していて、人によって得意不得意がある。
「情景が浮かばない」のは、情景を想像する才能がないからじゃなくて、その部分を鍛えてこなかったから。そう考えると、ちょっと楽になりますし、「じゃあ意識して鍛えればいいんだ」という気持ちにもなります。
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読みながら「自分の読解力」が試される
この本はちくまプリマ-新書という中高生をターゲットにしたレーベルから出ていることもあり、全体的にはとても丁寧に、読みやすく書かれています。聞きなれない単語は出てきますが、その説明をしっかり読んで理解すれば、8割がた問題なく読めるでしょう。
しかし、読み進めていくと唐突に難しい段落が出てきます。そこまでの読みやすさを考えれば、やはり違和感がある。最初は「わたしの読解力が、この段落の内容に適合していないのかな」と思っていたんですが、読み進めるうちに気がつきました。
これ、わざとじゃないか?
わざと難しい段落を用意することで、読解力不足を実感してもらう、難しい読解にチャレンジしてもらうという意図があるのではないか、と考えました。
難しい箇所で「なぜここでつまずいたのか」を考えてみると、自分の読解がどの種類の読解ができていないかが見えてくるんです。言葉の意味を知らなかったのか。文と文のつながりが追えなかったのか。それとも文章全体の流れを見失ったのか。
自分のつまずきの原因を自覚してみると、他の人のつまずきにも気づけるようになります。たとえば、子どもが文章問題を解けないとき、「ちゃんと読みなさい!」と怒るのは的外れかもしれません。「読んでいる」のに「わかっていない」のは、怠けているからじゃなく、脳の中でイメージが結べていないからかもしれません。「どこでつまずいているか」を一緒に探す、という視点に変わるだけで、サポートの仕方がずいぶん変わってくる気がします。
本の内容で読解を学びながら、その本自体が読解の練習台になっている。テキストと問題集が一冊になっているようで、うまくできてるなあと思いました。
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「語彙」や「背景知識」の重要性
もうひとつ、へえと思ったのが「ワーキングメモリ」の話です。
よく「語彙」の重要性は語られますが、その本当の大切さは理解できていませんでした。そりゃ、知らないよりは知ってる方がいい。でも、知らない単語があっても、前後の文脈から想像すれば内容は理解できる。そんな風に考えていました。
でも、そこに「ワーキングメモリ」という視点が加わると、話が変わります。
ワーキングメモリとは、「脳の中にあるメモ帳」のようなものです。机やキッチンの作業スペースをイメージするとわかりやすいかもしれません。広ければ広いほど、同時に多くの作業ができます。しかし当然ながら、この作業スペースの広さには限りがあります。
文章を読むとき、私たちはこのワーキングメモリをフル活用しています。単語の意味を把握し、文と文のつながりを追い、全体の論旨を組み立てる。これだけでもかなりの容量を使います。
そこに「知らない単語」が出てきたらどうなるか。文脈から意味を推測する作業が、作業スペースの一角を占領します。「背景知識」が足りない場合も同じで、知識の穴を想像で埋めようとすることに、貴重な容量が割かれます。
結果として、文章の深い理解に使えるワーキングメモリが減る。読んでいるのに頭に入ってこない、という状態は、こうして起きるわけです。
語彙や背景知識が豊富な人は、そこに容量を使わなくていい分、文章の構造や筆者の意図を読み取ることに集中できます。同じ文章を読んでも、理解の深さがちがうのは、頭の良し悪しではなく、ワーキングメモリをどれだけ「読む」ために使えているかの差なのかもしれません。
「読む力」と「知識」は切り離せないということです。
これは大人も子どもも同じです。子どもが文章問題を解けないとき、算数の概念そのものを知らないせいで、ワーキングメモリが「概念の理解」に取られてしまい、問題文を読み解くための容量が残っていない、ということが起きているのかもしれない。「読解力の問題」は「知識量の問題」でもあるのです。
大人の読書でも、ある分野の本がむずかしく感じるのは、読解力がないからではなく、その分野の知識が足りないせいでワーキングメモリを圧迫しているだけかもしれない。だとすれば、いきなりむずかしい本に挑むより、入門書から始めて知識を積んでいくほうが、結果として深く読める。そう考えると、難しい本に挫折したときの気持ちが、少し楽になります。
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今の時代に、読解力は「武器」になる
最後に、少し大きな話をしたいと思います。
今は情報が溢れている時代です。SNSを開けば次々とコンテンツが流れてきて、タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉が当たり前に使われるようになりました。要約動画や箇条書きまとめが人気なのも、じっくり文章を読もうという意識がどんどん薄くなっているからでしょう。
でも、そういう時代だからこそ、深く読める人は強いと思うんです。
大量の情報をさばくには、「速く・正しく・本質を」読む力が必要です。表面だけ追って、わかった気になる人と、ちゃんと構造を理解して自分の言葉に変えられる人とでは、情報の使い方がまるでちがう。読解力は、情報化社会においてむしろ最強の武器のひとつになり得る。
さらにいえば、深い読解ができる人は、フェイクニュースや誇張された情報にも流されにくい。「批判的読解」ができるかどうかは、情報リテラシーの問題でもあります。
このブログのテーマである「読書の血肉化」も、結局のところ読解力の話と切り離せません。読んだ内容を自分の中で咀嚼し、考え方や行動に結びつけるには、まず「ちゃんと読めている」ことが前提になる。この本はその土台を作るための、いわば基礎工事の本だと感じています。
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即効性はない。でも、確実に何かが変わる
正直に言うと、この本を読んだからといって、明日から急に読解力が上がるわけではないです。
でも、これから本を読むときの「見方」が変わります。むずかしい本に直面したとき、「なんでわかんないんだろう」とモヤモヤするだけじゃなく、「語彙が足りないのか」「背景知識がないのか」「論理の流れがつかめていないのか」と、原因をある程度自分で探れるようになる。
虫眼鏡みたいなものを手に入れた感じ、と言えばいいでしょうか。問題を解決してくれるわけじゃないけど、問題をちゃんと「見る」ための道具をもらった感じ。
私自身は、この本を読んでから小説を読むときに、少し意識が変わりました。「情景をちゃんとイメージしてみよう」と思いながら読むようになった。まだぎこちないですが、それだけでもずいぶんちがう読書体験になっています。意識するだけで、鍛えられていない筋肉を少しずつ使い始められる気がする。
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まとめ
読解力って、「国語のテストでいい点が取れる能力」じゃないんだなと、この本を読んで改めて思いました。情報を受け取り、自分なりに解釈し、疑ってみる。そういう地道な力のことで、一朝一夕には身につかないけれど、仕組みを知っておくだけで、積み上げ方が変わってくる。
こんな人におすすめ
- 読書を深めて、ちゃんと自分の血肉にしたいと思っている
- もっとむずかしい本を読みたいと考えている
- 子どもの読解力を伸ばしてあげたいけど、どうすればいいかわからない
中高生が読んでも十分おもしろいと思いますが、むしろ大人のほうが「あーそういうことか」と気づきが多いかもしれません。
薄くてさらっと読めるのに、じわじわと効いてくる本です。
読書を血肉化したいなら、まずこの一冊から。

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